異世界帰国記

前回の次回予告に書いたことは掲載予定にありません。

 

2021年10月から2022年3月までアイルランド渡航した記録をまとめたものである。

費用について

語学学校ではなく、インターンをしていたので対して費用がかかってない。本活動に気になる方で大学生ならば、ヴルカヌス・イン・ヨーロッパでお調べしてください。

それでは経費についてまとめていく。
集計方法は渡航期間における日本円の支出と、アイルランドで開設した口座の支出である。この期間に無関係なものも色々買っているが、それらも含まれている。
€ = 130円で計算している。

結果発表。

渡航期間10月4日 ~ 3月22日
日本円: 679,056円
ユーロ: 8284.42€
合計: 1,756,030円

では早速わかっているものについて内訳が以下。
航空券: 221,940円
保険: 169,060円
PCR検査: 10000円*2回

生活費※
家賃: 4080€
基本食費: 1680€ 
通信費: 120€

※家賃, 基本食費, 通信費の計算式は以下の通り
4080€ = 170€/week * 24  家賃
1680€ = 10€ / day * 7 * 24 食費
120€ = 20€ / month * 6 通信費
基本食費は自炊などした場合の費用としている。


アイルランドに滞在するだけなら、上記を合計した約120万ほどあれば理論上は可能である。
では、約60万円分は何に消えたかというと以下の通りである。
・家賃の手数料
・モハーの断崖 一泊二日
・フランス横断 三泊四日
ベルファスト 一泊二日
・コーク 二泊三日
・ゴールウェイ 二泊三日
・ギネスストアハウス
・Jameson蒸留所
・クリスマスマーケット
・教会巡り10数カ所
・その他観光地入場10数カ所
・外食数十回
・豪華な自炊 数十回
・自転車代
・バス代 6€/day

飛行機に乗ってもヨーロッパ間は3000円とかで済むこともあるし、いろんなところに行きやすい。強いていうと外食が高い。ラーメン一杯が2500円する世界なのだ。晩ご飯は気を抜くと5000円は超える。ランチ程度なら2000円はかからないぐらいかも。マックとかなら700円で済むかもね。

食べたいもの食べて、行きたいところ行って、飲みたいもの飲んで、その結果が200万弱である。プログラムの奨学金インターンの給料があるので、金銭には全く困らなかった。


これだけはやろうね、PPSN

Personal Public Service Numberと言われるもので、所謂マイナンバーみたいなやつである。銀行開設には必須なので、アイルランド渡航する人は絶対に申し込むように。口座を手に入れるまで2ヶ月かかった。PSCはPublic Service Cardで特に必要になることはないけど、一応申請した。IBANはインターネットバンキングで、電子上のやり取りに必要な番号である。

10/13 PPSN申請
11/4 情報不足で再申請
11/10 情報不足で再申請
11/18 PSC申請, 税務署のアカウント申請
11/24 PPSN到着, 税務署仮アカウント発行→住所証明待機
12/1 PSC予約お知らせ→12/6に来てな
12/6 じゃあ1週間後ぐらいに届くから。オンライン申請
12/8 IBAN発行や
12/9 給料振り込むわ〜
12/15 カード届く

銀行の通知カードにPINコードが付いていたが気付かず捨てた。日本では暗証番号は自分で決めるものだけど、少なくともアイルランドでは通知されるものらしい。銀行員によくあるミスだよって言われた時が、滞在時で一番流暢にOh, my godが出た瞬間だと思う。カード使えないなって思ったけど、使えないのは僕でした。

英語力について

半年間海外にいたものの、リモートワークをしていたので特に英語はうまくはならなかった。しかしながら、コミュニケーションは言葉遣いよりも、相手を理解しようとする姿勢が最も重要であるという当たり障りのない事実をえた。ある程度過ごせば、人々の文化や常識にあたるものは粗方わかってくる。言葉はあくまでツールでしかなくて、最悪喋れなくても身体の動きや、目線だけで会話なんてできる。文法や語彙力よりも、文脈を読む力があれば何とかなる。

 

以下は滞在中に感じたものを雑記としてまとめたものである。備忘録みたいなものなので流し見でどうぞ。

英語を喋りたいなら海外行くべき?

昨今の状況だと僕はNoだと思う。何故かというと、今時海外に行っても英語を喋る必要がそんなにないからだ。最低限の英語なんて中高レベルで何とかなるからね。お店の予約するときの定型句とか、飲料水の罠(※)とかを知っていれば困ることが本当にない。家ではアニメを見て、友達とゲームしたりと日本語で過ごせてしまう。便利な世の中になったものである。英語を喋りたいと思うなら、英語でしか理解できない人やものを見つけることが一番である。実際、日本に帰ってから英語で知りたいものに出会ってからは本気で理解しようという気持ちになった。

数週間経つと英語上手くなったねって言われることが増えてきたけど、これは違うと思った。単にその人の会話のリズムがわかってきて、何が好きかとかがわかっただけだと思う。店とかも提示されうる選択肢を理解したからこそ、聞き取れなくても想像がつく。単に生活にこなれただけだ。新入社員が会社に慣れたところで、日本語上手くなった?とは言わないよね。

(※: レストランに入るとStill Water? or Fizzy Water?かを聞かれるが、どちらを答えても有料の水が出されることがある。食事の際には炭酸水か飲料水かを選ぶのが通常。ちなみに無料水はTap Water、水道水である。)

海外での必須スキル

語学力よりも必要なものが二つあると感じた。それは、勇気と文化である。

聞くは一瞬の恥、聞かぬは一生の恥というが、ちょっとした恥や恐怖を飛び越える勇気というのは、いつになっても必要だと感じた。主張しなければ意見がないことと見做される。主張をすれば議論の場が与えられる。議論の場があることで自分の無知を知り、更に深めることができる。どれだけ初歩的な質問であっても、どれほど無知に思えるものであっても、改めて聞くことで自他との違いが分かることだってある。その違いを知り、お互いを理解するためには、恥らいを超える勇気が必要であると思った。

自分の文化を自分の中に持つこと。具体的には、自炊力である。異なる文化圏に行くと、環境音や家電、交通ルールなどから相手の文化が自分の中に侵蝕してくるのだ。異文化に触れることは大きな負担となる行為であり、ホームシックに陥るのはこのせいであると思う。特に食事は毎日摂取するものであるし、人間の欲求でも上位に来るものである。もちろん海外の食事の方が合うこともあるだろうが、自衛のためにも好みの味を出す技能は必要である。甘味もうま味も異なる食文化の中で日本で食べた味が恋しくなった時、私が摂取したのはコーラであった。特に好きでもないし、あまり飲むことはなかったけど、アイルランドでそれを口にした時、”あぁこれだ”と自分の中で失った何かが補充された感覚になった。異なる食材や調味料を使ったとしても親しんだ空気を作れるのは食事であると思う。

海外で暮らしたい?

正直どっちでも良いかな。海外で暮らせると確認できただけでも十分。情報収集のためにやったTwitterで、アジアの男は帰国したがる、アジアの女は帰国したくない、みたいな意見。一理はあるんだろうけど、こういうのを見ると悲しくなるね。戦争はやめようよ!って言いながら核武装してる感じ。閑話休題

日本は経済的には落ち目なんだろうけど、平均より良い収入もらえるなら、先進国の中では人間も食事も安い、衛生的だし最低レベルが高いから、住みやすい場所だとは思う。ただ日本人よりもアイルランドの人たちの方が、他人として出会ったときに優しくしてもらえた経験は多いように思う。これは果たして自分が外国人であるという異端者だからなのかはわからない。自分が現地人として認められるようになった時、また嫌な部分が見つかるのだろうか。そうでないなら、世の中に別れ話がこんなにあるわけがない。

海外での仕事について

英語で仕事をする場合、コミュニケーション能力が2割ぐらいデバフされたように感じる。一種の縛りプレイみたいなものなので、能力が低いからと言って何も出来ないわけではない。世の中にはレベル1であっても出来ることはあるのだ。この2割減の能力差を埋めるためには、言語能力を上げてギャップを埋めるか、2割減でも戦えるように他の能力をあげるかだと思う。自分は言語能力に対しては諦めた。なぜかというと日本語でさえ聞き取れないことがしばしばあるのに、況や英語をやである。大事なのは、使う言語がなんであれ伝える能力である。

味と感覚

コーラはあまり好きではなかったけど、同じ味だから思い出せるものがある。きっと想いの違いによって味覚も変わるのだ。子供の頃に感じた嫌いな食べ物も、年老いて再び食べることで蘇るものもあるだろう。食事そのものに味以外の意味を見出すことだってできる。もし異世界に飛ばされて同郷の人がいたなら、いくら嫌いであっても、同じ言語文化を共有するだけで得られる親しみがあるのではないか。日本人というだけで異国では仲良くなれたように。

本格的だよクリスマス

欧米では家族と過ごす日であるというイメージが強かった。そして実際間違いではなかった。日本のようにパートナーで過ごすとかでもなく、恋人であってもどちらかの家族と共に過ごしたりするのだと思う。前日からクリスマスに向けてプレゼントを用意したり、ターキーやケーキを用意したりそれはもう祭りみたいなものである。クリスマス明けの朝には港へ突っ込んだりすることもあるらしい。そして二日目の昼には疲れて仮眠を挟むことも珍しくない。

ここまで読んでみて、何か既視感を抱いていないだろうか。

私は思ったのだ。これ、大晦日と元旦じゃん。

実際、恋人と共に相手家族宅に訪れることはあるだろうし、お年玉を前々から用意したり、お節やお餅を用意したりそれはもう祭りみたいなものである。新年明けの朝に道頓堀に突っ込む人だっている。

欧米のクリスマスを身近に感じた瞬間である。

西海岸

どことなく懐かしさを覚える。ゼルダの伝説の影響かもしれない。馬羊牛、色んな動物がいる。アイルランドは人間よりも羊の方が多いそうで。面積も人口も北海道みたいなものだ。

母親

母は強し。アイルランドではみんな黒系の服を纏ったりして、色気があまりない。衣服に興味がない自分にとってはむしろありがたいぐらいである。そのような文化の中で、彼らが髪型や衣服が気になった際にどうしているかを表す言葉がある。それは、母親がOKって言えば大丈夫、ということ。そもそもアイルランドは天気が変わりやすいし、予報が当てにならないから、衣服などを拘るよりも機能性を重視する人が多いのだと思う。

アイルランドで暮らすことについて

自分にとって大切な要素を切り捨てて小さな自分から始めるのは些かハードルが高い。大学入る前なら、友達ややりたいことが定まって居なかった時なら、もしかするとここで暮らすことを決めていたかもしれない。

人間が超克したのではなく、人間も自然の一部だとそう思わせる。しがらみがなく、裸のままでいられるような解放感。風景は宗教画のようで、普遍的なものでありながらどこか心を照らしてくれているかのような気さえする。

楽しいとはまた違う。満たされる。そんな場所だった。

単語の意味違い

カタカナ英語と、実際の英語とで意味が異なることがある。ミスだって失敗ではなく、寂しいという意味だし、アイドルは偶像という意味で歌や踊りをしない。今となっては笑い話だが、上司との会話の中で大きなすれ違いが起きた。

先の話題でクリスマスについて触れたが、上司に日本のクリスマスでは何をするのかと聞かれた時である。私は二十余年の男児なので格好をつけて、そりゃ女の子をエスコートしたりすることですよ、と言い放った。上司の顔が歪む、そりゃどういう意味なんだ、と。勿論、エスコートには動詞としては同伴するなどといった、よく知られている意味がある。しかし、名詞となると全く意味が異なるのだ。[名] 有料で性的なサービスをする人、となる。詳しくは聞き取れなかったけど、コールガールとかそういった言い方もあるらしい。
よくよく考えたら日本語でも英語でもアングラな言葉は色んな言い回しがある。チョコもアンパンもクリームパイも使い方によっては危ない。なるべく誤解を生まないように、英語で聞いたことのない言い回しは避けるようにした方がいいかもしれない。

教会がめちゃくちゃ落ち着く

宗教設備が大好きなので、アイルランドに来て教会を見つけたらとりあえず入っている。なぜ落ち着くのかを考えるのと同時に、日本の寺社と何が違うのかを考えてみた。教会は豪奢で巨大だ。対して寺社仏閣は暗く小ぢんまりとしていることが多い。宗教の根幹や目指すものがどちらも大きく変わらないと思う。教会からは神や敬うべきものを大きく見せて、矮小な自分との対比を感じさせるようなものとなっている。対して寺社仏閣は質素で簡素なものに、仏様が対面して自身との対話をする。恐らくだが、日本は地震が多いために大きい設備が作られずに小さめのものを作るようになったのではないだろうか。
教会に参拝しにきた人の行動を眺める。賽銭を入れ、神にお辞儀をし、蝋燭に火をつけて、祈る。そして十字を切って帰りしなにまたお辞儀をする。装丁は違えど本質は何も変わらないんじゃないかと感じた。

帰国でバタバタ

PCR検査を3/20に行った。実施後に厚生労働省が発表しているフォーマットにそぐわない事を知る。21日に再検査しにダブリン空港付近へ行く。結果的にMySOSでは20日付の検査で十分だった。帰国後も2時間ほど入国審査みたいなものが必要だった。
自分は日本人だから全然大丈夫だけど、海外の人からすると二度と日本に来たくないと思うだろうと思った。ただでさえ英語を喋れないスタッフや、紙でやりとりされる作業。100人ぐらいは動員され、夜遅くまで仕事が行われていた。本当にお疲れ様です。。。

全体を振り返って

自己省察をするのに良い時間だったと思う。何が好きで、何が嫌いか。どうして自分は苛立たしく思うのか、心惹かれてしまうのか。脳内会議をする際にはなるべく対立軸を用意して議論させる。最後に得られる結論は概ね、どっちでも良かったりするか、全く賛成反対に縛られない結論で終わることが多い。自分の中で繰り返し反芻し、議論の弾をストックする。そしていつか誰かと話をするときに撃つ。自分で答えを出せなかった部分や異なる見解を求めて。
アイルランドはちょっと郊外に行くと途端に人がいなくなる。一面の青と緑。国旗が表す様そのものである。現代は便利なもので、道具を使えば簡単に人とつながることができる。ふとしたときに誰かの発言や意見を見聞きしようと思っていないだろうか。誰かが作ったシナリオや創作物を消費しようと思っていないだろうか。
岬で海の息吹を感じたり、草原で鳥の歌声を観賞したり、丘から街並みを見下ろしてみたり、沈んでいく夕日を見送ったり。得た経験を誰かに共有しようと思う前に、他ならない自分はどんな情緒になっているのだろうか。
別にこれらは海外に行かなくてもできることではあるけれど、様々な刺激に囲まれているからこそ、自分自身が経験事に何を感じているかに向き合うことは大切なのではないだろうか。